放送英語 フランス語 第三回
英語 writing では、テクストの内容にはいりはじめた。
英文では結論を先に表示することが、相手に親切であるということ。
なぜなら、時間制限のある相手が全文読まなくても、文で何について書かれているか、
最初に理解できるから。
結論を最後におくのは、読み手にとって不親切。
なぜなら、全文読まないと、結論がわからないから。
それは英文を読んでいる人たちの立場からすると、
「私の文には価値がある、だから最後まで読みなさい」
という意味にも解釈される可能性もある。
結論を最後におくのは、日本語の基本でもある。
逆に言うと、日本語を使用する場合でも、結論が文の最後にあるのなら、
読み飛ばして、最後のほうに書かれる結論を自分が最初に見つけてその内容を把握しておけば、その後、最初からその文を読み始めても、さっき見た結論にいくつくまでの過程を説明しておるのだな、と頭の中で方向づけして読み進めることができる。
では会話の場合はどうか。
会話の場合は、相手が話をしているときに、結論を最初に言わないなら、こちらから、
「話の結論は何ですか?」と尋ねて教えてもらう方法もあるが、人間は感情を持ち、それに影響されて自分の行動を意思決定することがあるから、たとえば実際に会話において、相手の話を途中でさえぎることは、その理由を問わず、とにかく無礼である、無礼な行為は不快である、という風に認識する相手だった場合は、この方法を使うと、相手が不快になり、話を継続することをやめてしまったり、途中で尋ねづに最後まで聞いておれば聞けたであろう付随情報などをはしょられてしまったりするなどの機会損失の可能性があるかと思う。これはもちろん相手による。
あとは、可能性として、相手が日本語を使う日本人でも、英語を使って会話をすれば、
相手の話し方も英語のルールに支配されて変わるかもしれない。
英語 reading
比喩や感情表現は自分の苦手とするところであるので、知らない言葉がたくさんあった。
今回の話の中で、庭師が中流階級の教育を受けた娘に、「バシッと目につくとこにおいたほうがいいのでは」と提案する場面があったが、それを聞いて娘は、「バシッとなどという言葉を私に使ってきたことは、失礼な行為なのでは?」と一瞬考えた。
庭師が意図的に娘にそう思わせるために「バシッと」という表現を使ったのかどうかはわからないが、おそらくこのお話の設定、流れから読み取ると、そうではなかったと思う。単に著者はバックグラウンドの差により、知識、経験、行動は違い、それによりであった事柄に対する認識の仕方も変わる事を、まずこの箇所でも表現したかったのではないかと思う。
フランス語 後期
講義は二人の講師によって進められる。
フランス語がネイティブであろう女性講師が朗読し、
日本語がネイティブであろう男性講師がその文章について解説する、
というのが基本的な講義の進め方。
しかし、女性講師も男性講師が言ったことが十分でないと思えば、
「そうではない」「別にそれだけじゃない」
というような言葉を発したあとで自分の意見を言っている。
このコミュニケーションは、和を重んずるとされる日本の文化を持った日本人の日常会話とは違う、と感じる日本人は多いかもしれない。
湾曲的であったり、一度相手の意見を肯定し、相手を尊重していますよ、私はあなたと争いたいのではないですよ、ということを暗示したあと、自分の意見を述べるのが、まぁ日本式。
だから、
「そうではない」→「そうですね、ただ~という場合もあったりします」
「別にそれだけじゃない」→「そうですね、あとは~なども考えられます」
などという表現方法になる。
語学を勉強するということは、単に発音や文法を知ってアウトプットできるだけならつまらない。おもしろいのは、その言語を使う人たちのバックグランドをその言語を学習することによって知ることができること。