海外の大学の通信過程
調べると英米以外にもある。
英米は通信過程でも学費を通学過程並みにとるところもある。
フランスやドイツの大学にも通信過程があり、どうやら学費も英米のそれと比較すると安いようだ。現地やヨーロッパ圏に在住していないと入学できない場合もあるが、探せばアジアにいても入学できるものがありそうだ。
昨今の日本社会では英語をやると将来役にたつ、とよく言われているように思う。
しかし、英語を学習するために塾や学校にかよってたくさん金を先に支払わねばならない。さらに英米圏に留学すると学費も高い。
しかし、フランス語やドイツ語を覚えたら留学費用も英米圏よりおさえられる。フランス語やドイツ語は英語に似ている単語や文法を持っているから、後で英語をするとなった場合もそれらの知識は役立つと思う。
また、社会で他人と共存する中で、社会的な自分の能力的価値を上げるには、英語だけ出来る人は日本人でこれからもっと増えてくるだろうけど、英語とフランス語or 英語とドイツ語となると、その数は英語だけよりも少なくなって価値づけをしやすくなるかもしれない。
そのように考えると、僕のように単に言葉が好きで、金がないけど海外の大学の哲学の教育に関心があるからフランス語やドイツ語をしているという人以外にも、ビジネスマンの人達にも英語以外の外国語を身につけておくのもよいのかもしれない。
通信過程から医学部へ編入
理屈の上では可能のようだ。
社会人枠の編入制度もあるようだ。
多くの大学は理系科目の単位を取得していることを条件とあげているが、
阪大のように単位を取得している必要はなく、試験でそれらの知識を問うという場合もある。
医学部編入学試験実施大学一覧・(平成25年度二・三年次編入・平成24年度二年次後期編入)
通信で学部卒になって国立の医学部に編入すれば学費は抑えることができる。
通学の理系の学部を出ていなくとも可能である。
夏スク 終了
昨日は試験日。
哲学史もロシア語も試験は特に難しいものではなかった。
ロシア語の6格はたしかに覚えるのが大変そうだ。
ラテン語もやってみたくなった。
通信過程の場合、様々の種類の人が様々な場所から集まるから、それを考慮しているように思う。
生涯学習的側面もあるだろうし、夏スクの試験は落とすための試験ではなく、先生が、授業であつかったここだけは抑えておいて欲しい、ここだけ理解して今後の学習にいかせてほしい、といった部分の理解の確認および理解を深めるためのものであるように思う。だから事前にある程度試験範囲を周知させることで、学生はその範囲の試験勉強をする傾向になるが、それは先生が学生に特に抑えておいて欲しい部分であろうかと思う。
自分にとってこの件でよい点は、大学が知的好奇心を満たす機会、つまり選択肢を与えてくれ、そのうちのどれかに絞って深めていくことを許してくれるということだ。これが、単位取得を第一優先にした場合だと嫌な科目も単位のために時間を割く、ということになるが、一応通信でも単位制で学士を与えるということだから、単位の概念はそこにもあるのだけど、通信の生徒は通学の多くの生徒と違って、人によっては卒業に時間がかかっても学問を大学で楽しみたいという人もいる。だからそういう人のために、興味のないことにはあまり時間をかける必要をなくして、その分興味のあることに時間を使えるようにする。
これが前述したように生涯学習の側面もあるだろうと述べた理由。
通信過程は独学だから通学過程より卒業するのは難しいとみみにした。
しかし、それはもちろん人による。
通学だと通信より単位取得の技の情報が取得しやすいと言うけれども、
通信でも勉強会の組織がたくさんあり、そこでは試験に関する話もしていると聞いたし、そういった組織に所属せずとも、学生同士で試験について話しあえば、それは通学で誰とも試験の情報を共有しないものよりは試験に関する情報を他人から得ているといえるかと思う。
また、通信は通学と違って一人で学習するから卒業が難しいということもきいたことがあるが、自分のように一人のほうが大方の場合において事がはかどるような者(勿論僕の人生の中においてというだけの意味)もいるだろうし、通学で他人と一緒に勉強やったほうがはかどるけども、友達が誰一人いない人の場合は、通信の友達がいたほうが勉強がはかどる人でかつ友達がいる人のほうが、友達による勉強のはかどりの貢献度は高くなる。
し、これらの逆パターンも想定される。
目先のゴールは、10月試験で、哲学とフランス語Ⅱをパスすること。
哲学は推論の箇所まで読んで、自然についての箇所を読んでいる。
フランス語はⅠ部を見直している。9月までに二部に移りたいが、
本日から労働がしばらく続くからどうなるか。
教育学 レポート 再提出
授業がなかったから仕上げた。
修正して文字数が増え、手書きなので時間がかかった。
教育学の最後の方の教育のパラドックスのあとあたりに教師像、その価値について書かれている箇所があるが、なかなかそういった志を持った教師に、少なくとも自分が義務教育を受けていた間には会わなかった、またはあってもそれに気づかなかった。
しかし、大学ではそのような人に会うこともある。
夏スク 三期 3日目
ロシア語
文法はまだやっていないが、単語の読み方の時点で音が変わる規則がいくつかあり、理解はしてもそれを行うことは難しい。しかしある程度外部環境による動機付けを持ってみることは行動の継続につながっているから良いかもしれない。
今までは自由気ままにやっていたから。
アリストテレスの考えを基本に、トマスアクィナスなどの解釈を加えた、神に該当するであろうモノの証明をならう。
授業の時間の都合上だいぶん端折っている箇所があったから、先生にもっと詳しく載っている本を聞いたら、
トマスアクィナスの神学大全
にのっているということなので読んでみたい。
電車でフランス語の文法をやった。
しばらくやっていなかったから随分忘れている。早めに一通り文法をやり終え、テクスト二部に移りたい。
夏スク 三期 2日目
ロシア語
発音したことがない音がいくつかある。
単語内のアルファベットの語順で発音が変わるものがある。
単語の意味はわからなくても、この講義を終えるころには発声はできるようになると思う。
しかし、文法も単語も全く知らないから、文の意味はまだ全くわからない。
先生が言うには、ロシア人は中国人や韓国人によりも日本人に対して好感を持っている人が多いとの事。理由は、勤勉だ真面目だからだという。
そういった評価価値は僕が訪れた国々で出会った人も持っていたことが多々あった。
授業中に20年前ぐらいのロシアに日本のタレントが訪れて現地人の日常生活に短期間ご一緒させてもらうというビデオを見た。
ウォッカを一般家庭で自製し毎食時、飲んでいる光景があった。
哲学(専門)
先生はこのようなことをいった。
Aについて知りたいならnot Aについても知る必要があります。
not Aについて知ることを放棄することは、Aについて知ることも放棄することを意味します。
他人の意見が自分と違うからと言って、それを無視するのは自分の意見も理解できていないことをまねきます。と。
それから、
世界の事物について真理を探求する上で、それを円滑にする方法の一つに神をからめる方法があり、その場合、有神論と無神論と不可知論という立場にたつことができる。
神の存在があるかないか本当のところはまだわからなくても、とりあえずどちらかの立場にたつことで、演繹するスタート地点ができるから、そういう意味で有神論でも無神論でもどちらでもよいから、立ってみるとスタートをきることができると。
僕ははっきりするまで今いる場所から移動してどこにも立たないというスタイルであったが、哲学するにはまずどこかに立つ必要があるということを改めて認識した。
そして自分は哲学に関心がある、ということはできるのだけど、自分が好きなのは「哲学をする」ことが好きなのだから、「哲学をする」ことに関心があるということのほうがより正確に自分の好きなものを表現できているといえる。だからその対象というのはなんでもよい。それが哲学そのものになる場合もあるだろうし、身の回りの自分が知覚するものや概念などでもよい。しかし、人生には限りがあるから、何か特定のものに絞って、それに時間を費やしたほうが、より深い考察ができ、それは自分の喜びになるであろうから、的を定めたいのだけど、まだ知らないことが多いからどれがいいのかわからない。しかし、多くの哲学者が的にしていたことであれば、彼らの深い考えを踏み台にしてそこからスタートできるから、そういったことを対象にしたほうがより楽しめそうな気がする。
フランス語文法を速習中。
不合格のレポートも大量にあるから再提出したい。
夏スク後は労働が始まるから、恐らく9月の初旬になる。